ギリシア哲学への招待状 愛知哲仁 An Invitation to Greek Philosophy

第18講義 アリストテレスの生涯

今日からは、プラトンの弟子のアリストテレス(Aristotelês ; 384-322B.C.)を見ていきます。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、このギリシアの三大哲人は、プラトンはソクラテス、アリストテレスはプラトンの弟子として、影響を受けたけれども、師とはまた違った思想を生み出しています。こうでなくては、学問は発展しません。

アカデメイア入学

医者の家系に生まれる

アリストテレスは、トラキアのスタゲイロス(ギリシア人の植民町;スタゲイラとも)に生まれました。紀元前384年のことです。カルキディケ半島にある小さな町です。当時既にマケドニアの支配下にありました。父親のニコマコスは、マケドニア王室のお抱え医師でしたが、早くに亡くなっています。母親も亡くしたアリストテレスは、プロクセノスの後見のもと成長し、17歳のときにアテネにのぼり、アカデメイアに入学します。

読書の虫

アカデメイアは知っていますね。プラトンの学園です。当時プラトンは、シチリア旅行や何やかんやで忙しかったと思います。落ち着いて弟子の教育に当たっていることができなかったでしょう。でも、アカデメイアには書物が保管されています。プラトンの初期作品や中期作品のいくつかが、あったに違いありません。アリストテレスは、この作品群を読みつくします。多分。

プラトンのお墨付き

プラトンは80歳で亡くなるのですが、アリストテレスは、師が亡くなるまでの20年間、アカデメイアで学び、後進(こうしん:後輩のこと)を指導します。プラトンは「クセノクラテスには拍車が必要だが、アリストテレスには手綱(たづな)が必要である」と語ったといわれています。頭が切れすぎなんだね。アリストテレスは、自然学に才能を示し、プラトンもそちらに進むことを促したようです。

ギリシア各地で研究・教育

アッソスに移住

プラトンが亡くなると、アリストテレスは、友人のクセノクラテス、先ほどプラトンの言葉に出てきたね、彼とともに小アジアのアッソスに移住します。トロイのちょっと南です。ここで結婚し、息子ができます。父親の名前を息子につけます。ニコマコスです。ここには3年滞在したといいます。研究して本を書きました。

レスボス島に移る

ギリシア地図(アリストテレス関係) アッソスとは、目と鼻の先の海上にレスボス島があります。これは、やはり友人のテオフラストスの故郷でした。この島の東岸にミティレネ(ミチレネ)という町があります。ここに移住します。この海岸で生物学の研究を一生懸命にやります。ちなみに、アカデメイアは、プラトンの甥のスペウシッポスが第2代の学頭になります。第3代は、クセノクラテスです。テオフラストスは、後につくるアリストテレスの学園、リュケイオンの第2代学頭になります。はい〜? わからなければ、どうでもいい。

アレクサンドロスの家庭教師

レスボス島滞在は長くはありませんでした。すぐに、マケドニアのフィリッポス王に招かれ、13歳の王子アレクサンドロス(アレキサンダー)の家庭教師になります。このころ、マケドニアの勢力は強大になってきます。紀元前338年に、カイロネイアの戦いに勝利したマケドニアは、ギリシア全土を支配下におさめます。2年後、フィリッポス王(フィリップ2世)は暗殺され、20歳のアレクサンドロスが即位します。

ご存知のように、彼がアレクサンドロス大王です。即位2年後には、東方遠征に出かけます。快進撃を続け、エジプトやインダス川流域まで広がる大帝国を築きます。まあ、アリストテレスのおかげで大帝国ができたとは思わないほうがいいです。この東征のおかげで、ヘレニズム文化が隆盛します。まあ、こちらは置いといて。

リュケイオンに学園建設

ソクラテスのお気に入りの場所

アレクサンドロス即位の翌年、アリストテレスはアテネに向かいます。アテネは、既にマケドニアの勢力下にあります。マケドニアの総督アンティパトロスが駐在していました。アリストテレスは、彼の援助の下、アテネ西郊外のリュケイオンに学園を創設します。図書館を建て、研究資料を集めます。学問にもお金は必要なのです。ソクラテスとは手法が違うんですね。ああ、ソクラテスもリュケイオンの辺(あた)りには、よく出没していたと、何かに書かれていました。お気に入りの場所だったようです。(プラトン『エウチュプロン』2A)大きな体育所があったので、若者が集まる場所だったんだね。

ペリパトス

リュケイオンの学園生活は、アリストテレスにとっては、理想の生活だったんじゃないでしょうか。午後は室内で一般講義を行ったようですが、午前中は、弟子たちと庭を散歩しながら、難しい問題を議論していました。ペリパトス派とかペリパトス学派と言われるのは、このためです。日本では逍遥学派(しょうようがくは)と言っています。逍遥とはぶらぶら散歩することだ。そう、そう、坪内逍遥(つぼうちしょうよう:文学論『小説神髄』で有名)の逍遥。

自分の学園

ああ、そうだね。出身校のアカデメイアに戻るという選択肢もあったはずだね。彼にとって、アカデメイア時代は貴重で、プラトンに会えたことはよかった。そう、私は考えています。でも、プラトンの思想から離れ出していたアリストテレスは、もはやアカデメイアで学んだり教えたりすることは、できなくなっていた。自分の学園を建てて、自分の思想を自由に教えたかったんだ。また、それができる人脈もあった。

アレクサンドロス急逝

リュケイオンでの研究生活12年が経つころ、東方遠征中のアレクサンドロス大王の急逝が伝えられます。秦の始皇帝しかり。このようなカリスマが建てた大帝国は、ガリスマが亡くなると、急激に瓦解(がかい:一部の崩れから全体が崩れること)します。

反マケドニアの気運

マケドニア勢力に抑えつけられていたアテネ市民は、チャンスとばかり反マケドニア運動に走ります。アリストテレスもマケドニアの仲間と考える市民たちは、攻撃の矛先を彼にも向けます。彼は、〔自然学〕も一生懸命やっていて、ギリシアの神々の話を信じていません。「国家の神々に対しての不敬罪」。これが成り立ちます。そうですね。ソクラテスと同じですね。アテネ市民は、訴訟の準備を始めます。

エウボイア島のカルキスへ

母の故郷

危険を察知したアリストテレスは、エウボイア島のカルキスに逃れます。エウボイアは、アテネの北にある細長い島です。細長く狭い海峡をへだて、半島に寄り添うようにある島です。今はエビア島という言い方もします。ここは、アリストテレスの亡き母の故郷だったのです。

ソクラテスの選択

はい、そこですね。ソクラテスは逃げなかった。それどころか、喜んで死刑判決を受けました。それに引き換え、アリストテレスは逃げてしまいました。単純に考えたら、卑怯者ですね。これは(プラトンの書物の中で)ソクラテスが言っていることですが、「自分はアテネに生まれ育ち、アテネを愛している。だから、アテネの法に従うのだ」(プラトン『クリトン』50A-53Aの内容)。別に、アテネが嫌いならば、出て行けばいいのです。ソクラテスは70年間ずっと継続して、アテネが好きで、ともに生きると決めていたのです。。

アリストテレスの選択

でも、アリストテレスは違います。トラキアのスタゲイロス生まれです。いや、決してアテネが嫌いだったというわけではありません。むしろ好きだったでしょう。アカデメイアで20年、リュケイオンで12年、都合32年間もアテネで学究生活を送っています。学問好きの彼には、アテネは楽園だったと思います。愛しているからこそ逃げる。これが彼の出した結論でした。

ソクラテスを死刑にしたアテネは間違っている。「その過ちを、またアテネに繰り返させないように(逃げる)」アリストテレスはこう言ったそうです。

アリストテレスの学問は残る

リュケイオンは、テオフラストスが後継の学頭になります。アリストテレスは、アテネを去った翌年に亡くなります。胃の病が原因だったようです。

今日は、哲学の話はできませんでした。まあ、いつもやっていないと言えば、やっていないんだけど。終わります。


インデックス・ペイジ

初期ギリシア哲学
 第1講 ミレトス派
 第2講 ピュタゴラス派
 第3講 ヘラクレイトス
 第4講 エレア派
 第5講 エンペドクレス
 第6講 アナクサゴラス
 第7講 原子論

ソクラテス
 第8講 ソフィスト
 第9講 ソクラテスの生涯
 第10講 ソクラテスの弁明
 第11講 クリトン
 第12講 ソクラテスとは

プラトン
  第13講 プラトンの生涯
  第14講 プラトンの著作
  第15講 想起説
  第16講 イデア論
  第17講 哲人政治論

アリストテレス

  第18講 アリストテレスの生涯

  第19講 著作と論理学

  第20講 形而上学

  第21講 ニコマコス倫理学・前

  第22講 ニコマコス倫理学・中




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参考文献
『哲学の饗宴』
ソクラテス・プラトン・アリストテレス
荻野弘之著 NHKライブラリー
\966 2003/02
 NHKラジオ第2放送で放送されたNHK文化セミナーの副読本を基に著作された。
 「愛知の講義は哲学ではない」とお考えの方は、この本で少しだけ突っ込んで哲学されたし。
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参考文献
『ギリシア哲学者列伝中』
ディオゲネス・ラエルティオス著
加来彰俊訳 岩波文庫
青663-2 ¥903(税込み)
412p 1989/09
 アリストテレス・ストア派などを収録。
 ディオゲネスの奇人変人ぶりは群を抜き、哲学とは関係なしに楽しめる。
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在庫なしやリンク切れの場合はご容赦を。




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参考文献
『ソクラテスの弁明』
プラトン著 山本光雄訳
角川文庫\315
 クリトンとエウチュプロンも収録。解説も必読。
Amazon.co.jpでは、ユーズドが2円で売られていた。
楽天ブックスで。





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参考文献
『プラトン全集1』
プラトン著
訳:今林万里子;松永雄二;田中美知太郎
岩波書店 \5,040
456p 21×15cm 2005/01
 弁明・クリトン・エウチュプロン・パイドン収録。
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレス入門』
山口義久著
筑摩書房 \735
新書版 2001/07
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレス』
堀田彰著
清水書院 \893 1988/04
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参考文献
『アリストテレス』
藤井義夫著
勁草書房 \2,940
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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