ギリシア哲学への招待状 愛知哲仁 An Invitation to Greek Philosophy

第21講義 ニコマコス倫理学(前講)

後期試験について

はじめに、後期試験についてお話しておきます。コピーでなければ、持ち込みは何でも可です。ああ、電子辞書はダメです。内容ですが、今日お話しする『ニコマコス倫理学』に関係した問題を考えています。ですから、岩波文庫の『ニコマコス倫理学』二巻は、できれば手に入れておいてください。古本屋を当たればあるかも知れません。多分大丈夫ですが、岩波書店にも在庫切れになるときがあります。その場合は、「再版してくれ」とお願いの手紙を書かなければいけないのですが……。

幸福とは

川端康成『朝雲』

川端康成の小説に『朝雲』という短編があります。田舎の女学校の女学生が、都会から来た垢抜(あかぬ)けた女先生に、淡い恋心を抱(いだ)くのです。それを彼独特の筆致(ひっち)で描いています。

女学生が卒業するときに、先生は「御幸福を祈る」と色紙に書いてくれます。女学生は直接先生に訊ねます。「先生、幸福って何(なん)ですの?」と。先生は答えます。「そんなこと、自分でお考えなさい」。

愛よりお金なのか?

言われてみれば、そうですね。人によって「幸せ」と感じることはさまざまです。「お金」があれば最高。愛があれば、それで充分。何もないけど平穏な生活。異性に囲まれていないと……。毎日が充実していれば、それでいい。仕事が終わった後の一杯のビール。……。

幸福の形

もちろん人によって、思い描く幸福の形は違うんだけど、多くの人に共通すると思われる部分もあるはずです。幸福についても多くのことを語っている書物に、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』があります。今日は、この文献についてお話をすることにします。

ニコマコス倫理学

ニコマコスって?

ああ、それね。単語自体が何らかの意味を持っているんじゃなくて、これは人の名前だ。アリストテレスの息子に、ニコマコスという人がいるんですが、このニコマコスがお父さんの講義録を一部編集したから、この名前がついています。ついでに言うと、アリストテレスのおじいさんの名前もニコマコスだ。

読めば読むほど味が出る

形而上学ほどではないけれど、難解な部分も多く、また、難解ではないけれど、議論の対象となる箇所が本当にたくさんある書物です。まあ、古典というのは、読み方にもいろいろあって、一年間で『ニコマコス論理学』を講義対象にする先生もいます。いや、それでも不充分なんだよ。これじゃないけど、私の先生なんか、分厚い本のほんの5行程度の部分で、1年間ゼミをやっちゃいましたから。

馬鹿なこと言っちゃいけない。ちゃんと他の部分は、各自自分で読んでおかないといけなかったぞ。読んでいないことは、話し合いや意見発表のときにすぐ分かるから。そうなったら大変だ。ゼミが始まったばかりだろうが何だろうが、教授が怒って帰ってしまい、みんなで謝りに行かなければ……。

教務の方から、無駄話が多いといわれているので、そろそろ始めます。

幸福=最高善

いかなる技術、いかなる研究(メトドス)も、同じくまた、いかなる実践や選択も、ことごとく何らかの善(アガトン)を希求していると考えられる。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第1巻第1章冒頭より引用)

『ニコマコス倫理学』は、このように始まります。納得できますね。君たちも受けたくない講義を受けるているけれど、それは、単位を取るためだとか、君たちにとっての何らかの善を求めているからだね。要らない物や悪を求めて努力する人間は、いないからね。

いや、その場合は、悪に手を染めているけれど、その悪の行為から得られる金銭などを求めているんだろ。その金銭が、その悪人にとっては善なわけだ。うん、その金銭と交換する別のものかも知れないが……。

うん、そこなんだ。アリストテレスも言っている。人間の活動は善を追及するんだけど、善にもいろいろあって、その善には序列があると言うんだ。善の中の一番の善〔最高善(ト・アリストン)〕を求める活動は、〔政治的〕な活動だから、それについて研究すると宣言しています。

素材の許す限りの厳密さ

〔形而上学〕のような〔存在〕を研究する学問や〔自然学」は、どこまでも厳密に研究できるけれど、この〔政治的な学問〕は、「素材の許す以上の厳密性を期待すべきではない(第1巻第3章・第7章)」と言って、ある程度の法則を突き止めたら、それでよしとしなければいけないと言っています。

また、経験の浅い若者や年少者は、この〔政治学〕〔倫理学〕の良い生徒ではない。それは、人生経験を積んだ者だけが分かる、また、実践できる内容を多く含むからだ。実践の学問とは、そういうものだとアリストテレスは語ります。

君はガンダムは知ってるかい? そうか、知らないか。君はどうかね? 何? みんなも聞いてくれ。彼女は、彼氏が好きだから、無理やり覚えさせられたそうだ。ちょっと予期した答えじゃなかったけれど、まあ、いいか。自分の興味あることは、語れるし、どのプラモデルの価値が高いかも判断できるだろ。でも、興味がない者や経験したことがない者は、そんな判断はできないわけだ。私の例で恐縮だが、大学生の頃に読んだ哲学書っていうのは、ほとんど字面(じづら)を追っていただけ。内容なんて、意味は分かるものはあるけれど、納得はできない。実感が伴わないと、理解したという満足感は得られないんだ。哲学者になるためには、やはりある程度の人間の経験が必要なのではないか。プラトンは、「理想の政治家は哲学者であるべきだ」と言っているから、政治家に年寄りが多いのは、強(あなが)ちおかしなことじゃないのかもしれない。

国民全体の幸せ

ここで、冒頭で話した「人生いろいろ」「幸せいろいろ」にもどります。〔最高善〕が〔幸福(エウダイモニア)〕であることに異を唱えるものはいないだろう。でも、幸福というものは人により違う。同じ人物でも、時と場合によって別のものを欲しがる。アリストテレスは、このように語ります。

「幸福とは富を持つこと」「名誉があるのが一番の幸せ」「人間は快楽を求める」「いや、愛が……」。また繰り返してしまいました。でも、アリストテレスは、こう断言します。「善とか幸福とかは、快楽や名誉や富には存しない(第1巻第5章)」。

最高善は究極的な目的で、それだけで満足できるものでなければいけない。そして、それを達成するためには、自分だけが幸福になるだけでは不充分だ。いや実際には自分も幸せじゃないのだが……。とにかく、周りの人、国民全体が幸福になることを最終目標にする。それを目指して生きることが幸福だ。その理由はこれです。

人間は本性上市民社会的(ポリティコン)なものにできているからである。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第1巻第7章1097b10より引用)

人間はひとりでは生きていけない。これは説明の必要はないでしょう。そうだね。だから、自分だけ幸せになることも難しいのです。他の者が幸せでなければ、妬まれたり襲われたり、結局その人も幸せでなくなることもある。世の中のしくみが良くなければ、その構成員の自分の頑張りも報われないかも知れない。

最初に話した女学生じゃないが、「じゃあ、いったい幸せとは何なのか」。アリストテレスは、「人間の魂の働きに注目せよ(第1巻第7章)」とヒントを出します。「魂をすぐれて活動させることが最も善きこと(第1巻第7章)」と言います。時間が来たので、今日はここで終わります。

え〜と、「魂の働き」については、『(霊)魂論(De Anima)』という本で、アリストテレスは説明しています。


インデックス・ペイジ

初期ギリシア哲学
 第1講 ミレトス派
 第2講 ピュタゴラス派
 第3講 ヘラクレイトス
 第4講 エレア派
 第5講 エンペドクレス
 第6講 アナクサゴラス
 第7講 原子論

ソクラテス
 第8講 ソフィスト
 第9講 ソクラテスの生涯
 第10講 ソクラテスの弁明
 第11講 クリトン
 第12講 ソクラテスとは

プラトン
  第13講 プラトンの生涯
  第14講 プラトンの著作
  第15講 想起説
  第16講 イデア論
  第17講 哲人政治論

アリストテレス

  第18講 アリストテレスの生涯

  第19講 著作と論理学

  第20講 形而上学

  第21講 ニコマコス倫理学・前

  第22講 ニコマコス倫理学・中


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参考文献
『花のワルツ』川端康成著
 『朝雲』が収録されているのが上記の表題本。
 残念ながらオンライン書店には新品の在庫はないと思う。リアル書店でも見かけたことがない。近くの図書館にもなかった。全集物のなかにあるかも。
 Amazon では、見たとき、古本が\200で出品されていた。
新潮文庫 \380
171pages 1951/01
Amazon.co.jp  楽天ブックス


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参考文献
『ニコマコス倫理学(上)』
アリストテレス著 高田三郎訳
岩波文庫 青604-1
\693 294pages 1983/09
Amazon.co.jp  楽天ブックス


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参考文献
『ニコマコス倫理学(下)』
アリストテレス著 高田三郎訳
岩波文庫 青604-2
\735 263+38pages 1983/08
Amazon.co.jp  楽天ブックス




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参考文献
『アリストテレス倫理学入門』
J.O.アームソン著 雨宮健訳
岩波文庫 \1,050 2004/07
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレスと生き方の教育』「善く生きる幸せについて」
東敏徳著 ユージン伝
\2,034 2004/04
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレスの正義論』
小沼進一著 勁草書房
\6,300 2000/11
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『心とは何か』桑子敏雄訳
アリストテレス著
講談社学術文庫
\924 1999/02 245pages
 『デ・アニマ』の日本語訳。調べたときは、Amazon に在庫あり。
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『アリストテレス「デ・アニマ」注解』
水地宗明著 晃洋書房

\6090 2002/02 428pages
 『デ・アニマ』の本格的な研究に。
Amazon.co.jp  楽天ブックス
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