ギリシア哲学への招待状 愛知哲仁 An Invitation to Greek Philosophy

第22講義 ニコマコス倫理学(中講)

後期試験について

前回もお話しましたが、後期試験についてお話しします。持ち込みは可です。でも、コピーはいけません。ええ、自筆ノートは結構です。ノートにコピーを貼ってるのを見かけたら、点数は0です。そう、電子辞書もダメ。

内容は、前回と今日お話しする『ニコマコス倫理学』に関係した問題を考えています。ですから、岩波文庫の『ニコマコス倫理学』二巻は、できれば手に入れておいてください。これは持ち込んでもいいですよ。古本屋にあるかも知れません。

前回の要点

人間は幸福を求めて生きている。だから、どんな研究や学問・技術も、また、どんな行為や決定も、やはり幸せのためにある。そして、その幸せは、一人だけに訪れても意味がない。人間はひとりでは生きていけないし、周りが不幸だと、その人も本当の幸福は味わえない。

では、幸福とは何か? それは、「魂の働き」に注目すれば分かる、とアリストテレスは言います。魂の働きについては、『De Anima(デ・アニマ)』という書物で説明しています。これは、日本語にするとき『デ・アニマ』『霊魂論』『魂論』『心理学』など、訳者によって書名が異なってきます。図書館にもいくつかあると思うので、興味があれば読んでみてください。もし読んだら、私の部屋に来て、感想を述べていってください。その程度に応じて、点数をアップします。

倫理学は実践の学

魂の活動

それでは、そろそろ、本日のお話に入ります。

「人間というものの善」とは、人間の卓越性(アレテー)に即しての、またもしその卓越性が幾つかあるときは最も善き最も究極的な卓越性に即しての魂の活動であることとなる。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第1巻第7章1098a18より引用)

人間の魂が最もすばらしく活動(エネルゲイア)するようにしてやる。それこそが幸福なのだ。アリストテレスは、そう考えます。馬には馬の、人間には人間の特性があります。馬と同じように鞭打たれて、荷車を引っ張らせられても、人間は幸せではありません。人間には、人間の特性を生かした行為ができるはずですし、その行為をやっている人間は幸せなのです。

飼われている馬は幸せか

うん、確かに、馬も人間に鞭打たれて、荷車や人を運ばされるのを喜んでいるかというのは疑問だ。「馬は足が速いし、力もあるから、それを充分生かす仕事をさせているのだ」というのは、あくまで、人間の都合だ。でも、ごほうびにえさをもらえたりする。犬や猫、その他の家畜などは、自然のままが良いのか、それとも人間の庇護の下暮らすのが良いのか、簡単には判断できない。盲導犬など、頼りにされなくなると、生きがいがなくなり、すねることもあるというからね。まあ、ここは、このままにして、次に入る。

宝くじに当たったら幸福?

皆さんは、宝くじを買ったことはありますか。ああ、それはサッカーのやつだね。ゴールのやつの方が、賞金がでかいのかね? まあ、当たりにくいものほど、賞金は大きいね。うん、競馬もあるな。あれは、本当は何て言うか知ってるかい? 「勝ち馬投票券」て言うんだ。そう、いろんな種類があるね。

ああいうの、当たったことはありますか。例えば、3億円当たった人は幸運だよね。でも、幸福なんだろうか。テレビドラマでも、大体お金持ちの家は、家族関係が冷え切っていて、不幸に描かれるけど……。確かに、ひがんでる脚本家はいるかも知れないが……。

運に頼って幸せになるのは

最も重大な最もうるわしきものを運に委ねるのは、あまりにも片手落ちというべきであろう。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第1巻第9章1099b23より引用)

アリストテレスは言っている。運などに頼らず、学習とか心遣いによって幸福を手にするのがよい、と。確かに、富や友人に恵まれることは、悪いことではなくて、むしろ必要。政治的力を持つことや幸運も助けになる。でも、それだけでは、人間は幸福とはなり得ないのだ。それらのものを道具として使い、自分の能力を正しい仕方で働かせて、正しい行為をし続けること。

よく生きている人間が幸福

幸福な人とは、よく生きている人、よくやっている人を指すのだ。そして、その行動は、一回とか、たまにではダメなんです。1日や2日実践しただけではなく、その人の生涯にわたりよく生きなければ、意味がないのです。倫理学は実践の学問なのです。幸福を証明しても意味がない。とにかく、実践。善い人となるのは、その「善い人の行為」を続ける。習慣づける。そうすることによって、その行為がその人の体になじんでくる。魂に入り込んでくる。理屈は後でいい。善い行いをし続けろ。それが幸福につながる。アリストテレスは、そう言っています。

幸福な人は、不運にも対処

幸福な人にも、いろんな障害が生じるはずです。それでも幸福な人は、その不運を受け止めて、それにふさわしい態度で接し、乗り越えていく。だから、幸福な人は、どんな状況に置かれても惨めな人間とはならない。アリストテレスは、そう考えました。

少し話の順番が、入れ替わってしまいましたが、このまま続けます。順番にこだわっていると、言いたいことが言えずに終わってしまう可能性があるので……。

善行を習慣づける

アリストテレスは、しつけの大切さも述べています。今までの話の流れからしたら、納得できると思います。

ヘクシスはエネルゲイアを積み重ねて

もろもろの「状態(ヘクシス)」は、それに類似的な「活動(エネルゲイア)」から生ずる。……。これらの「活動」の性質いかんによって、われわれの「状態」はこれに応じたものとなるのだからである。つとに年少のときから或る仕方に習慣づけられるか、あるいは他の仕方に習慣づけられるかということの差異は、僅少ではなくして絶大であり、むしろそれがすべてである。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第2巻第1章1103b21より引用)

人間にふさわしい徳を備えた状態になるためには、その徳を備えた人がやるような行動を積み重ねることだ。アリストテレスは、そう言っているのです。「それは偽善だ」とか言って、他人の行動を批判する人がいます。偽善だろうが、無理やりだろうが、何でもいいのです。善いと思われる行動をやり続けることによって、その人は「善」に近づくのです。

子供に善悪の判断を委ねるのは、本人の意思を尊重していることでも何でもありません。彼らは判断材料を少ししか持っていないからです。ですから、嫌われようが、泣かれようが、きちんとしつけて「善」なるエネルゲイアをさせなければいけないのです。

では、実際に、どんな徳が存在して、どうしたらその徳を獲得できるのか。どういう活動を続けていけば、幸福になるのか。

中庸の徳

超過と不足を避ける

節制も勇敢も「過超」と「不足」によって失われ、「中庸(メソテース)」によって保たれるのである。

(アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』高田三郎訳 岩波文庫 第2巻第2章1104a25より引用)

恐怖・怯懦・臆病←────勇敢────→平然・無謀

右へ行けば行くほど「恐怖」が減ります。左へ行けば行くほど「恐怖」が増えます。強力な敵に立ち向かうとき、「勇敢」に戦うことが戦士の徳です。勇敢な人は、「恐怖」を多く感じ、恐れて逃げる人ではありません。しかし、十倍する敵に「無謀」にも立ち向かい、死んでしまう者も、勇敢な人とは言えません。

適度に恐怖を感じつつも、勇気を振り絞って踏みとどまり、応戦する。これが「中庸」です。他の徳に対しても同様に考えます。

「金を無駄遣いする人」と「けちな人」の中庸は「必要なときに必要なお金を使う人」。「傲慢で自信過剰の人」と「卑屈で自信のかけらもない人」の中庸は「プライドを持ちながらも傲慢ではない人」。「他人が悪いことをしていても怒らない意気地なし」と「何でもかんでも頭にきて怒り散らす」の中庸は、「叱るべきときに叱る」。……。

アリストテレスは、それぞれにいろいろなコメントをつけていますが、たどり着きたい結論は、どちらかに偏るのではなく、その間のふさわしい場所を見つけて、そこを中庸としています。必ずしもど真ん中というわけではありません。右に近い位置が中庸の場合もあるし、左寄りが中庸の場合もある。

中庸は、そのときそのときで違う

「中」は人によっても違います。きっちり「中」を決めることは期待できないので、そのときそのときで、各個人が中庸を見定める必要があるのです。

ただ、アリストテレスは、少しだけ中庸を求める方法を示しています。人間は人それぞれ、ある徳について、超過か不足のどちらかに傾きやすい性質を持っているはず、それを自覚しておいて、できるだけその反対側に自己を引っ張っていく。それで、中庸よりもどちらかに傾いてしまうかも知れない。でも、それでよい。どちらかに傾いている方が、中庸の位置もよく分かって、調整できる。アリストテレスはそう考えています。

最後の部分は、分かるような気もするが、皆さんは納得できますか。時間が来てしまったので、今日はここで終わります。

残念ながら、事情により講義はこれで終了です。ニコマコス倫理学(後講)はありません。
<(_ _)>


インデックス・ペイジ

初期ギリシア哲学
 第1講 ミレトス派
 第2講 ピュタゴラス派
 第3講 ヘラクレイトス
 第4講 エレア派
 第5講 エンペドクレス
 第6講 アナクサゴラス
 第7講 原子論

ソクラテス
 第8講 ソフィスト
 第9講 ソクラテスの生涯
 第10講 ソクラテスの弁明
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 第12講 ソクラテスとは

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  第13講 プラトンの生涯
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  第17講 哲人政治論

アリストテレス

  第18講 アリストテレスの生涯

  第19講 著作と論理学

  第20講 形而上学

  第21講 ニコマコス倫理学・前

  第22講 ニコマコス倫理学・中


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参考文献
『心とは何か』桑子敏雄訳
アリストテレス著
講談社学術文庫
\924 1999/02 245pages
 『デ・アニマ』の日本語訳。調べたときは、Amazon に在庫あり。
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『アリストテレス「デ・アニマ」注解』
水地宗明著 晃洋書房

\6090 2002/02 428pages
 『デ・アニマ』の本格的な研究に。
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『ニコマコス倫理学(上)』
アリストテレス著 高田三郎訳
岩波文庫 青604-1
\693 294pages 1983/09
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『ニコマコス倫理学(下)』
アリストテレス著 高田三郎訳
岩波文庫 青604-2
\735 263+38pages 1983/08
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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参考文献
『政治学』山本光雄訳
アリストテレス著
岩波文庫 青604-5
\1,050 498pages 2000
 アリストテレスの理想国家がここに。
 残念ながら、岩波にも在庫無し。追加印刷が待たれる。
Amazon.co.jp  楽天ブックス


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参考文献
『政治学』牛田徳子訳
アリストテレス著
京都大学学術出版会
\4,410 494pages 2001/2
 確認したときは、少部数ながらアマゾンにあり。
 現在の主流である民主主義国家の理想の原点がここにあり。
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