ギリシア哲学への招待状 愛知哲仁 An Invitation to Greek Philosophy

第20講義 形而上学

形而上学とは

第一の哲学

本日は、アリストテレスの『形而上学(けいじじょうがく)』に書かれていることを中心に見ていきたいと思います。彼は、師プラトンのイデア論を否定し、新しい存在についての概念を持ち出しました。それをやります。

アリストテレスは、人間の知が働く場面を三つに分けました。「作る」「行う」「見る」の三つです。先週、黒板にアリストテレスの著作群のカテゴリー分けを5つ書きましたね。5番目の「制作術」に関する著作は「作る」に対応します。4番目の「実践学(倫理学・政治学)」が「行う」に当たります。2の「自然学」と3の「形而上学」が「見る」に当てはまります。1の「論理学」については、先週やりましたね。他の学問の「道具」でしたね。ギリシャ語で何だった? そう、〔オルガノン〕。

「見る」に対応する〔自然学〕と【形而上学】。アリストテレスによれば、〔自然学〕は〔第二の哲学〕としています。【第一の哲学】は〔形而上学〕なのです。こちらの方がより真理に近い王者の学なのです。

形而上学の定義

ところで、さっきから〔形而上学〕といっていますが、これはいったい何でしょう。今日、〔形而上学〕という場合、「目に見えている現象の向こうにある真の本質・存在を突き止めること」「理性的な思考によってのみとらえられる存在の研究」「超自然的なものの研究」を指します。分かりにくいですね。まあ、急いで分からなくて結構です。今から見ていきましょう。

アリストテレスは、「存在を存在として研究する」学問を、〔形而上学〕としています。これも分かりにくい。まあ、「『ある』ということはどういうことなの?」「『存在』とはいったい何なの?」という問いに答える学問と思ってください。「存在するということがどういうことか」が分かって、初めて〔自然学〕など、〔第二の哲学〕以下の研究ができる。アリストテレスはそう考えました。

名称の由来

難しい話に入る前に、〔形而上学〕の言葉の薀蓄(うんちく)をやっておきます。力を残しておきたい方は、その場で休憩しておいてください。

先週話したロードス島のアンドロニコス。アリストテレスの講義草稿を編集したリュケイオン最後の学頭でしたね。彼は、編集の順序として、この第一哲学を第二哲学の自然学の後に置いたのです。自然学は physika といいます。第一哲学を「自然学の後のもの」という意味の ta meta ta physika と名付けたんです。meta とは、「〜の後」という意味。題名を付けられなかったんだね。これがラテン語になったものが、metaphysica、英語では metaphysics だ。今では、この meta は「超えた」「超」という意味も含む。

もう1つの解釈もあります。今の段階で理解できるかどうかは分かりませんが、ここで話しておきます。自然学=第二哲学は、私たち人間の感覚でとらえることができるものです。私たちに近いから、先に認識できる。それに対し、第一哲学は、その向こうにあるのです。私たち人間の感覚からは、遠いところにある。認識は後になるわけです。「自然学の後に認識される学問」ということになるでしょうか。これも複数の研究家が支持しています。

日本では、明治1881年に『哲学字彙(てつがくじい)』という辞典が、井上哲次郎らによって編集されました。そのときに、中国の『易経』の中に、「形而上者謂之道、形而下者謂之器」という文があるんだけど、これを使って翻訳に利用したんだ。「形の上のものを道と言う、形の下のものを器と言う」くらいの意味。「道」を使ったらややこしくなるので、「形而上」を使ったんだろう。「形の上」で、「目に見えないけれど確かにあるもの」くらいの意味を出したんだ。

アリストテレスの形而上学

人間は生まれながらに知ることを

すべての人は、生まれつき、知ることを欲する(『形而上学』第一巻冒頭A980a)

アリストテレスは、『形而上学』冒頭でこのように述べています。確かに小さな子は、「これ何?」「あれは?」という問いを発する。小学生の児童も、大人が気にもしないことを不思議がる。「どうして〜なの?」と。知ったとしても1円の得にもなりません。大人は〔制作術〕や〔実践学〕は一生懸命やっても、〔自然学〕や〔第一哲学〕は、専門家は別として、やらなくなります。こう考えると、「すべての人は、生まれつき、知ることを欲しますが、知りたい対象が年齢とともに移り変わる」また「知りたい対象は、人によって異なる」。こういうことになります。子供の方が、より哲学に近いのかも知れません。

イデア論批判

『形而上学』の中で、アリストテレスは、プラトンの〔イデア論〕を批判します。アリストテレスらしく、論点を整理し、いくつかの弱点を指摘します。ここではやりません。興味があれば、自分で読んでください。〔イデア論〕も〔形而上学〕に入りますね。

第1実体と第2実体

アリストテレスは、「愛知」、私(わたくし)ですね。または、「この机」。こういうものを【実体(ousia)】と呼びました。特に【第一実体】といいます。【基体(hypocheimenon)】という表現も使います。「人間」「机(全体)」を【第二実体】と考えました。一般にその名前で呼ばれるものの集合体のことです。〔種〕とか〔類〕という表現をすることがあります。具体的に在る実体ではないので、「第二」を付けています。

質料と形相

〔基体〕について、例えば、この机ですね。この机は、木材でできあがっています。木材のことを【質料(hylê)】としました。そして、机を【形相(eidos)】としたのです。プラトンの〔形相〕は〔イデア〕と同じでしたが、アリストテレスの〔形相(けいそう)〕は違います。机の形、机の設計図のようなものです。この〔質料〕〔形相〕が、第一実体の中にある。離れてあるのではなく、結びついて一つの実体の中にあるのです。プラトンでは、イデアが離れてイデア界にありました。この部分が違うのです。

ですから、机の〔形相〕も机の数と同じだけ存在します。机が壊れて、机でなくなれば、その机の〔形相〕も消滅します。ただ、〔質料〕としての木材は残ります。その木材にも〔形相〕はあります。ここまで言っていいものか疑問ですが、私の意見としては、机の残がいとしての〔形相〕があります。でも、多分、アリストテレスは「〔形相〕はなくなる」と言っています。

アリストテレスは「残がい」ではなく、このように言っています。木材が何にもなっていなければ、ただの〔質料〕です。この〔質料〕から、机も作れるし、椅子も作ることができる。このように、可能性を秘めているので、何もなっていない〔質料〕だけの状態のものを【可能態(dynamis)】と呼んでいます。

この〔可能態〕の木材に、椅子の〔形相〕を結びつければ、【現実態(energeia)】となります。〔可能態〕が〔現実態〕になったり、〔現実態〕が別の〔現実態〕に移り変わること(metabolê)を運動(kinêsis)と呼んでいます。この運動には4種類あると書いています。

  1. 生成と消滅
  2. 性質の変化
  3. 量の増減
  4. 場所の移動

四原因論

この運動は、4つの原因によって起こっている。アリストテレスはそう言います。1つは【質料因(hylê)】です。これは、先に述べました。物の原料のようなものですね。2つ目は【形相因(eidos)】です。形ですね。3つ目は【運動因(archê tês metabolês ê tês kinêseôs)】。これは、〔動力因〕〔起動因〕〔始動因〕とも呼ばれます。木材を椅子に加工した「家具職人」がこれに当たります。最後が【目的因(telos)】です。椅子ならば「座るため」というのがこれに当たります。「売るため」もこれに当てはまります。

本当は、私も分からないことだらけ

正直な話、アリストテレスの存在論は、『形而上学』だけ読んでも分かりません。『自然学』や『(霊)魂論』『動物部分論』『カテゴリー論』などを読んで、総合的に解釈しないといけません。第一哲学と第二哲学は密接に関連しあっていて、切っても切り離せないのです。

イデア論もそうですが、アリストテレスの存在論にも、多くの不明な点を持っています。いや、はっきりとした疑問が出てこないくらい理解不能な箇所も、山ほど出てきます。それはそれで、置いておいて伝えることは伝えるとしましょう。多少分かりにくいことがあっても、とりあえず聞いてください。

不動の動者

この世界の、それぞれの運動には、動力因がありました。椅子を作る動力因は家具職人でした。この家具職人を動かしている動力因は何でしょう。目的因ならいえますね。「食べるていくため」「息子を進学させるため」「……」。でも、ここでは、動力因を突き詰めていくと、最後には、「自分は動かないが他者を動かすたった一つのもの」に行き当たるといいます。これを【不動の動者】と呼んでいるのです。これを「神」と呼んでいます。

究極に動かす者は、みずからは動かないで人を動かす恋人のように動かす。

恋人に、エルメスのバッグやティファニーの装身具などを買わせる人がいるそうです。何又もかけている状態が、神に近いと思います。「すべての人の憧れの的になることによって(すべての人を動かしている)」のです。「憧れ」と出てきたところに、プラトンがチラッとこちらをのぞいている情景がみられます。

わかりました。今、説明します。ある運動の原因になっている動力因Aが動いているものならば、それを動かしている動力因Bがあるはず。その動力因Bも動いているならば、Bを動かす動力因Cがあるはず。最終的には動いていない者に行き当たるはず。それが〔不動の動者〕や〔不被動の起動者〕と呼ばれるものです。動いているものでは、第一番の原因とはなり得ない、という理屈です。

えーと、そこなんだけど、宇宙には存在しないんだ。どうも、アリストテレスは、〔神〕が有限大ではだめだ、と考えたようなんだ。宇宙は有限と考えるアリストテレスは、宇宙には存在できない、と考えたんだ。そう、〔神〕は物体ではないんだ。

ギリシャ哲学セミナー

これ以上は、説明できないなー。この前、インターネット上で、おもしろいファイルを見つけたよ。『ギリシャ哲学セミナー』という会があるんだけど、そのウェブ・ページ内に論文をPDFファイルにしておいてある所があるんだ。そこに、上林昌太郎氏の『不被動の起動者――「自然学」第八巻を中心に――』というファイルがあるから、読んでみるといいよ。

延長してしまいました。終わります。


インデックス・ペイジ

初期ギリシア哲学
 第1講 ミレトス派
 第2講 ピュタゴラス派
 第3講 ヘラクレイトス
 第4講 エレア派
 第5講 エンペドクレス
 第6講 アナクサゴラス
 第7講 原子論

ソクラテス
 第8講 ソフィスト
 第9講 ソクラテスの生涯
 第10講 ソクラテスの弁明
 第11講 クリトン
 第12講 ソクラテスとは

プラトン
  第13講 プラトンの生涯
  第14講 プラトンの著作
  第15講 想起説
  第16講 イデア論
  第17講 哲人政治論

アリストテレス

  第18講 アリストテレスの生涯

  第19講 著作と論理学

  第20講 形而上学

  第21講 ニコマコス倫理学・前

  第22講 ニコマコス倫理学・中




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参考文献
『形而上学(上)』
アリストテレス著 出隆訳
\798(税込み) 1983/11
岩波文庫
Amazon.co.jp  楽天ブックス


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参考文献
『形而上学(下)』
アリストテレス著 出隆訳
\840(税込み) 1983/08
岩波文庫
Amazon.co.jp  楽天ブックス




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参考文献
『アリストテレス実体論研究』
角田幸彦著 北樹出版
\9,450 1998/03
Amazon.co.jp
楽天ブックス




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参考文献
『動物部分論』
アリストテレス著
坂下浩司訳
京都大学学術出版会
\4,725 2005/02
 最新作。絶版となる可能性も。
Amazon.co.jp
楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレスにおける神と理性』
角田幸彦著 東信堂
\8,768 1994/03
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『エネルゲイア』「アリストテレス哲学の創造」
桑子敏雄著 1993/12
東京大学出版会 \6,720
 エネルゲイアとは、〔現実態〕のこと。
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『哲学の三人』「アリストテレス・トマス・フレーゲ」
G.E.M.アンスコム/ピーター・トマス・ギーチ著
野本和幸/藤沢郁夫訳
1992/03 勁草書房 \2,940
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレスの神論』「形而上学ラムダ巻」注解
水地宗明著 晃洋書房
慶應義塾大学出版会
\2,940 2004/11
Amazon.co.jp  楽天ブックス





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参考文献
『アリストテレスにおける力と運動』 ―可能態、完全現実態そして現実活動態
千葉恵著 PDFファイル
無料 ギリシャ哲学セミナー
『ギリシャ哲学セミナー論集』内 ギリシャ哲学セミナー編
Vol. I /2004
「アリストテレスの自然学」のペイジ
 利用上の注意は、よくお読みください。
参考文献
『魂について』中畑正志訳
アリストテレス著
京都大学学術出版会
\3,360 2001/06
Amazon.co.jp  楽天ブックス



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