さまざまな愛について金八先生再放送をチラッと見て『3年B組金八先生』という人気番組がありますね。もう、ちょっと前になるのですが、同性愛について焦点を当てたところがありましたね。私はお昼休みに金ぱっつぁんが、話している場面を見ただけですが、「さまざまな愛」について語っていました。ギリシャの言葉がたくさん出てきました。ああ、それが一般的な解釈なのか? と感心しました。そこで語られたことについて、ちょっと脱線します。 フィリア番組ではフィリア(philia)を「友愛」と訳していました。英語で言えば、friendship となるでしょうか。色恋とは関係のない、固い友情で結ばれた心でしょうか。 「哲学」と訳した philosophia は、この動詞形の「愛する」philo+「知」sophia で、「知を愛すること」でしたね。これは以前に話したと思う。 エロース番組ではエロスと言っていました。このエロース(erôs)は、「男女間の愛」という意味で解釈していました。プラトンが言うところのエロスが特殊なんですね。 もともとは、ギリシア神話の「愛の神」の名前です。ローマ神話ではキューピッドにあたります。そう、小さな弓矢を持った子供ですね。彼はいたずら心を持った永遠の子供で、彼の放った金の矢が当たったものは、たちまち恋に落ちるという。知ってますね。アフロディテという「美の女神」の子供とされています。アフロディテは、ローマ神話のヴィーナスに当たります。彫刻では「ミロのヴィーナス」。絵画ではボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見てください。 『饗宴』でのエロスプラトンの『饗宴(きょうえん)』を読むと、エロスは、さまざまな説明をされています。人によって解釈が違うのです。せっかく脱線したので、皆さんが興味を持ちそうなところに、さらに逸れてみます。 古代ギリシアの同性愛古代ギリシアのポリスの中には、男性同士の愛についても公然と認められているところがありました。年配と美少年のカップルというのが、標準です。年配のものは、知識が豊かで、勇敢で立派な人物が好まれました。美少年は、その年配の愛人から感化を受けて、立派な男に育つのです。 愛人部隊テーバイ(テーベ)というポリスでは、神聖隊という愛人部隊が作られたそうです。年配と美少年のカップルが仲良く同じ部隊に配属されて、互いに刺激しあって戦うのです。好きな人の前で、臆病な振る舞いはできません。勇敢に戦う精鋭部隊です。一方がやられれば、もう一方は敵討ちということで、いっそう奮戦したでしょう。 実際に、紀元前371年には、レウクトラの戦いに参加したといいます。レウクトラの戦いでは、あのスパルタ軍を撃破しました。勝ったテーバイは、スパルタからギリシアの覇権を奪い、マケドニアの支配を受けるまでの9年間は、ギリシアの盟主となりました。 アガペーアガペー(agapê)。これは「慈愛」「無償の愛」という風に言っていた。こちらは相手に愛を注ぐのだが、相手から代償は求めない。金八先生は、親がわが子に注ぐ愛を例にとって説明していた。 キリスト教では、神が罪深き我々人間に対して、天から降らせてくれるのが、このアガペだ。人間はみんな罪びとです。そう、アダムとイヴ(エヴァ;エワ)が、楽園を追われた(失楽園)ときから。 ナルキッソスナルキッソス(Narcissus)の話までしていました。ドラマではナルシス(Narcisse)とフランス語で言っていました。ギリシャ神話に出てくる、自分しか愛せない男として。 1つの説神話上の話なんだけど、森の妖精(ニンフ)にエコーというのがいるんだ。「こだま」とか「やまびこ」などの音の反響をエコーと言うだろ。エコーは、ゼウスの奥さんのヘラに、話す力を奪われてしまうんだ。自分で言葉を発することはできないんだけど、他人の言葉を繰り返すことだけはできるんだ。これが「こだま」だね。まあ、オウムみたいになるんだ。 そのかわいそうなエコーは、美少年ナルキッソスに恋するんだけど、受け入れられないんだ。この失恋で、エコーは姿も消えてしまうんだ。そして、オウム返しの声だけが残ったんだ。「こだま」は声だけになったエコーが発しているんだ。 ナルキッソスは、他の女性たちからも、もてるんだけど、誰も愛せないんだ。水面に映る自分の姿にはうっとりし、自分自身に恋焦がれて、最後は「水仙の花」になって死ぬんだ。ナルシストとか使うだろ。あれはこのナルキッソスからきているんだ。 別の説別の説では、ナルキッソスの方が、エコーに恋をしたんだけれど、エコーは話ができず、彼の言葉を繰り返すだけなので、ナルキッソスの方が振られたと思い込んだそうだ。 おろかなナルキッソスを見て、神々は、自分の姿に恋をするようにした。ナルキッソスが泉で水を飲もうとしたとき、水面に映る自分の姿に恋をしてしまうんだ。その場所で、何も食べず、風雨の中たたずんでいた彼は、やがて死んでしまう。彼がいた泉のほとりに彼の姿はなく、水仙が咲いていた。
|
インデックス・ペイジ 初期ギリシア哲学 第1講 ミレトス派 第2講 ピュタゴラス派 第3講 ヘラクレイトス 第4講 エレア派 第5講 エンペドクレス 第6講 アナクサゴラス 第7講 原子論 ソクラテス 第8講 ソフィスト 第9講 ソクラテスの生涯 第10講 ソクラテスの弁明 第11講 クリトン 質問:死刑延期の理由 第12講 ソクラテスとは プラトン 第13講 プラトンの生涯 第14講 プラトンの著作 第15講 想起説 第16講 イデア論 脱線:さまざまな愛について 第17講 哲人国家論 アリストテレス 第18講 アリストテレスの生涯 第19講以降の講義は、第18講義のペイジか、インデックス・ペイジ内のリンクをクリックしてご覧ください。
このペイジの一番上へ
このペイジの一番上へ
このペイジの一番上へ
このペイジの一番上へ
|
||||||||
このペイジの一番上へ
© 2005 Tetsuhito Aichi |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||