第10講義 ソクラテスの弁明さっそく行きます。多分、今日は大変です。 ソクラテスを知る書籍本を書かなかったソクラテスソクラテスは、書物を残していません。もっぱら対話、いわゆる問答法。ソクラテス自身は母親の職業を借りてきて、助産術と呼んでいたようです。自分は何物も作り出さないけれど、若者たちが立派なものを作り出す手助けをする。そういう意味で使っています。 プラトン著ソクラテスを知る手がかりは、弟子のプラトンが十数冊の書物にしています。ソクラテスが登場し、弁論したり、友人たちと対話したりしています。書かれた時代により、ソクラテスの考えに近いものだったり、プラトンの考えが色濃く映し出されているものまであります。そういうことも、いろいろ研究されています。興味があれば調べてみてください。 クセノフォーン
プラトンは、非常に近い弟子なので、ソクラテスを理想化しているという批判もあります。ですから、少し離れた位置から見ているクセノフォン(Xenophôn:クセノポンとも)の著作の数冊に価値を認める人がいます。彼の著作では、『ソークラテースの思い出』(佐々木理訳・岩波文庫)を推薦しておきます。もう、この辺りの本屋には置いてないかも知れません。古本ならあるはずです。(楽天ブックスで探す
アリストファネスあと、ギリシア最大の喜劇作家のアリストファネス(Aristophanes)が『雲』という作品で、ソクラテスを滑稽なソフィストのように描いています。そうそう、『女の議会』『女の平和』の戯曲作家です。世界史で習いましたね。この三者の物が、文献として有名です。 名著『ソクラテスの弁明』本日は、プラトンの『ソクラテスの弁明』をみて行きたいと思います。 推薦書籍は、先週挙げておきました。まだの方は、もう一度紹介しますので、必ず何らかのかたちで読んで下さい。先週紹介した他にも、岩波書店から『プラトン全集』が出ています。さすがに全部そろえるのは大変でしょうが、ひょっとすると、どこかの古本屋に格安でそろっているかもしれません。中央公論社の『世界の名著』シリーズの中にも、プラトンの翻訳があります。やはり、古本屋にあるかもしれません。 クセノフォンにも『弁明』があります、機会があれば読んでみてください。 ソクラテス訴えられるソクラテスが70歳のころ、三人のアテネ市民により訴えられます。罪状は「自らつくった神を信仰し、国家の神々を冒涜した。若者たちに悪しきことを教えて、堕落させた」(24b,c)でした。告訴人は、詩人のメレトス、職人で政治権力も握っていたアニュトス、ソフィストのリュコンの三人です。代表はメレトスですが、後ろで糸を引いていたのはアニュトスだとされています。 『弁明』は、この裁判の告訴内容が告げられ、それに対するソクラテスの弁明から始まります。自分で弁護をしています。その弁護の進め方については、皆さん、読んでみてください。ああ、もう読んできて貰ってるはずでしたね。 市民への問いかけ私はその中から、特に注目すべき箇所を紹介します。
━━━田中美知太郎編 世界の名著6 プラトンT━━━━━━━━↓↓ 強烈ですね。これは何も、当時のアテネの人ばかりではなく、あらゆる時代の、あらゆる人への強烈な質問です。現在の日本にも、充分通用すると思います。 ソクラテスは、雑巾のようなぼろをまとい、裸足でアテネの街に出たといわれています。そうして、人を見つけては、問答法を繰り返すのです。現在の我々の感覚からすれば、避けて通りたくなります。アテネの人は慣れていたでしょうが、君たちなら、まず知らん顔をするでしょう。 情状酌量は求めないこの部分の前後では、「私が問答を繰り返す行為をやめれば、罪が軽くなるようだが、それは自分の使命に反することなので、たとえ殺されようが、『知を愛すること』はやめない。情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)なんて求めない」という内容を語っています。 フィロソフィア『知を愛すること』。これがフィロソフィア(英philosophia)で、日本では【哲学】と訳されるようになったのです。明治維新の時期に、西周(にしあまね)という啓蒙学者が、この日本語訳をつけました。以後日本ではこの語が定着しました。 ソクラテスは、たとえ何度殺されようとも、自分の正しいと思う道を行く、と言明しています。とても今の私にはまねができません。皆さんはどうですか。私は彼に近づこうと哲学を勉強しているわけですが、やってもやっても、ぜんぜん近づけません。それどころか、ますます遠く、今では見えなくなってしまいました。 馬と虻のたとえ虻(あぶ)の話をしておきましょう。私は子供のころ、近くの川によく泳ぎに行きました。今よりもはるかに清い水が流れていました。川原で休んでいると、虻が飛んで来て、よく刺されました。痛かったですよ。しかも、しつこい。
━━━田中美知太郎編 世界の名著6 プラトンT━━━━━━━━
面白いたとえですね。アテネを素性のよい大きな馬に例えています。ソクラテスは、その体をブンブンいいながら飛び回って、刺しまくる。それをやめると、アテネはおかしな方向に向かう。そう予言しています。 だから、私を有罪にすることは、アテネの市民にとって不利益になる、という論理展開をみせます。自分の代わりになる人物はいない。好き好んで、お金にもならない嫌われ役を買って出るものはいない。私を処刑したら、自分で自分の首を絞めるようなものですよ、とまで言っています。 ソクラテスに有罪判決弁明のかいなく、いや、弁明をしたからか、ソクラテスには有罪の判決が出ます。陪審員の281人が有罪、220人が無罪の投票をした結果です。この人数は、すこし異同があるかもしれません。『弁明』の中に「もう30票も無罪の方に流れていたら、無罪になっていた」という記述があります。30票では、まだ251:250ですからね。280:221といったところでしょうか。いや、もう少し無罪の方が多いかもしれません。 とにかく、有罪なのですが、ソクラテスは有罪を覚悟していました。実際には有罪票がもっと多くなると予想していました。ここで、アテネも捨てたもんじゃないと思ったでしょう。 裁判官の反感を買い死刑確定ソクラテスの有罪は確定しました。このあともう少し裁判が続きます。どういう罰則にするかを、再び陪審制度で決めます。原告側のメレトスは「死刑」を要求します。それに対し、ソクラテスはどんな罰がいいのかを、自ら述べます。 その内容は、ソクラテスは金がないので、友人たちが出してくれる形ばかりの罰金を払うということが、まず一つ。そして、オリンピア祭り、いわゆるオリンピックですね。その勝者が祝勝会の食事に招待されるのですが、それよりも豪華な食事会でもてなされるという罰則です。(36b,c,d,e,37a) この文脈わかりにくいでしょ。罰なんかではありませんね。褒美を要求しているのです。これが、陪審員の反感を買ったのは間違いありません。 「死刑」対「罰金少々+食事会」は、361票:140票と、先ほど「無罪」とした人まで、大きく死刑に流れます。ソクラテスが黙って他国に去ってしまえば、穏便に罰金刑ですましてあげよう、と考えていた人もいるでしょうが、そんな人たちに対しても、ソクラテスは、「そんな気は毛頭(もうとう)ない。たとえ、異国の地であろうと、やはり同じことを続ける」と宣言します。 「不正は死よりも速く走るから、気をつけろ(39a,b)」、こう彼は警告します。「不正を避けることは、死を避けることより難しい」。ソクラテスは、お涙頂戴の減刑活動は不正と考えます。権力者に問答を挑み、その生き方、やり方は正しいのか、と詰問しておきながら、みずから堂々とした生き方を変えることはできなかった。言葉だけで行動が伴わない。それこそが不正であるのです。そんな不正はおこなわず、むしろ避けられないものとして死を選んだのでありましょう。 そして、死刑は幸せなことだが、自分を死刑にした告発者と死刑判決を下した陪審員は不幸だ、と告げます。誰か他人の行いを改めさせるとか、悪い行いを防げると考えることは間違っている。それは非常に難しいことだ。他人を傷つけたりせずに、まず、自分を改善することが先決で、立派なことだ、とメッセージを残します。(39c, d)どこかの超大国の大統領に、この部分をぜひ読んで貰いたいと思っています。 よき人には、生きているときにもこの後、無罪判決を下した陪審員たちだけに、ソクラテスは話をします。「知を愛すること」の大切さを語り、「いい人は、生きているときも、死んでからも悪いことは起こらない」、自分に起こったことも不幸ではなく、むしろ幸いである、と述べます。(41c, d) 最後に、自分の息子が将来、何かを鼻にかけ自慢し出したら、私がみんなにしたように、問答法でいさめてくれと遺言します。(41e, 42a) 『弁明』の英訳、最終部分(ρ_;)『弁明』はこんな言葉で終わります。本当はギリシア語のがいいのですが、英文訳のひとつを紹介しておきます。インターネット上にプラトンの『弁明』の英訳が公開されています。 Project Gutenbergという、世界の古典の英訳が読めるものです。『弁明(ソクラテスの死)』は、Benjamin Jowettという人物が英語にしています。その英訳最後の部分を紹介します。全文は今から黒板に書くURLよりダウンロードして読んでください。
ftp://ftp.ibiblio.org/pub/docs/books/gutenberg/etext99/pplgy10.txt
「それぞれの道を行くとしよう。私は死ぬため、君たちは生きるため」 の方がいいかなー。 いずれにしても、かっこいいですね。実を言うと、私は、この部分に魅せられて哲学の道に迷い込んでしまったのです。きっかけは、後から考えると「そんなことなのー?」ということが多いものなんです。 来週は『クリトン』このあと、死刑執行まで1ヶ月ほどあります。処刑の数日前に、クリトンが脱獄を勧めに来ます。このことがプラトン著『クリトン』に描かれています。来週はそれをいきます。皆さんに用意していただいた『弁明』の本には、『クリトン』も収録されていると思うので、できれば読んできて下さい。 なんとか、終わりました。
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このペイジの一番上へ 前回あれほど言ったのに、『ソクラテスの弁明』テキストを入手していない学生諸君のために、文庫本の紹介をもう一度。
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