第9講義 ソクラテスの生涯倫理学の祖いよいよソクラテス(Sôkratês)です。この人は大物です。哲学界の巨星です。 哲学の柱のひとつに【倫理学(英ethics)】があります。「人間はいかに生きるべきか」「どのように生きていったらいいか」、そういうことを考え、突き止めようとする学問です。それを始めた人が彼、ソクラテスなのです。そのような位置づけになっています。 ソクラテスの生涯アテナイに生まれるソクラテスは紀元前470年か469年に、石材加工業者とも彫刻家ともいわれる父と、助産婦をしていた母の子として、アテネに生まれます。哲学者や歴史家は、アテネのことを、アテナイとかアテーナイということがあります。本にもそう書く場合があるので、知っていてください。 ペリクレス時代に青年期をおくる青年時代には自然科学なども学びます。青壮年期は、アテネの民主政の最盛期です。ペリクレスが将軍・政治家として活躍します。しかし、いい時代は長く続きません。ソクラテスが40歳になろうとするとき、スパルタとのギリシアの主導権争いが起こります。ペロポネソス(ペロポンネソス)戦争です。 重装歩兵として勇敢に戦うソクラテスも武器を自分でそろえて、重装歩兵として参戦します。50歳近くになるまでに三度参加し、アテネ市民としての義務を果たします。この間に、有能だったペリクレスが死去し、ペストも流行します。ペストは黒死病とも言われます。君たちは知らないだろうけど、まあ、私も知りませんが、伝染病の一種です。本来はねずみなどの病気なんですが、蚤(のみ)などを通じて人間にも感染します。人間に感染すると皮膚や粘膜感染もします。これにより、大量に人が死にます。恐ろしい病気です。人口が激減します。こうしてアテネの衰退が進行していきます。 デルフォイの神託を受けるそんなころだと推測されますが、ソクラテスの弟子カイレフォン(カイレポンとも)が、デルフォイ(デルフィ;デルポイとも)に出かけます。デルフォイにはアポロン神を祭っている神殿があります。そこには巫女(みこ)がいて、神のお告げを伝えてくれます。当時のギリシア諸都市の人々は、困ったことがあると、お告げをききに行くのです。 ちょっと横道にそれますが、お告げを受ける巫女やシャーマンは、トランス状態になりますね。ああ、催眠術をかけられたような状態です。そうなるために、火を焚いて、薬品のようなものを燃やしたり、タバコや麻薬を吸ったりしました。一心不乱に踊り続けるという方法もあります。呪文を唱え続けて、極度に疲労するという手もあります。 この前、テレビで見たのですが、デルフォイのアポロン神殿のちょうどその場所は、大地の割れ目があって、当時は地下からの噴出物が漂ってくるような場所だった。そんな可能性を指摘していました。そのガスを吸った巫女がトランス状態になったんじゃないか。そう推察していました。元に戻ります。 カイレポンは、「ソクラテスよりも賢い人はいますか?」とアポロン神にたずねます。そうすると「ソクラテスに勝る賢者はいない」というお告げが出ます。そのことが、ソクラテスに報告されます。ソクラテスはそれを聞いて、不審に思います。「そんな馬鹿なことはない。私より賢い者はいるはずだ」と考え、賢者との評判のある人物を、何人か訪れます。 神託の正しさを確信そして、アポロン神の神託(しんたく)が正しいという確信を得ます。つまり「自分に勝る賢者はいない」ということがわかります。ちょっと傲慢のように思いますか。そうですね、そんなことを言い出すやつは、鼻持ちならないですね。 無知の知あっ、君、今何て言った?。そうそう、ああ、高校で習ってるか。【無知の知】というやつですね。 ソクラテスが言っているのは、こういうことです。世間で賢者の誉れの高い人物は、確かに自分の得意な分野や雑学などもよく心得ている。しかし、人間に本当に大切だと思われる「真・善・美」や【徳(aretê:アレテー)】については、何も知らない。知らないくせに、何でも知っているつもりになっている。 大事なことを知らないことを知らないのだ。だが、私、ソクラテスは、大切なことを知らないということを知っている。「無知の知」をもっている。だから、賢者といわれる人よりも、私の方が勝っているのだ。そう主張するわけです。 ああ、今説明します。アレテーとは、ソクラテスが言う場合、目的を達成するための優秀性、役に立つ機能性です。人間の魂をより良くし、正しく生きることです。それがすっかりできれば、アレテーが高いことになります。ちなみに刀の徳は「よく切れること」です。 知徳合一人間が悪いことをするのは、この徳が少ないからです。正しい知恵があれば、悪いことなんてしない。正しい知恵を持つことは、徳を持つことだと考えます。つまり、人間においては「徳=知恵」が成り立ちます。これを【知徳合一】と呼んでいます。 よく、「悪いことと知りながらやってしまった」というのがあるだろ。あんなのは認められないんだ。悪いことをやってしまったのは、知識・知恵が足りないんだ。真の知識として、その行為が悪いことだと分かっているなら、その行為はどうしてもできなくなる。それこそが真の知になるのです。 問答法彼が得た確信を、できるだけアテネの若者に伝えていかなければならない。そう考えたソクラテスは、アテネの街頭に出ては、若者を捕まえ、話しかけます。 このときに使ったのが【問答法(もんどうほう)】です。自分がぺらぺらしゃべって、意見を押し付けるのではなく。相手が言っていることをよく聞いて、その矛盾点をついたりして、とにかく、相手が自分で自分の考えを整理し、おかしなところも発見できるような話し方です。これは、プラトンが書いた「ソクラテスの対話集」(、これがたくさんあるのですが)、それを読めば、大体どんなものかがわかります。 権力者の反感を買い、死刑に時には立派な人物にも、この問答法を使って意見します。多くの人物が、このやり方で恥をかかされたに違いありません。若者たちは、普段威張っている権力者たちが、ソクラテスにやり込められ、自分の意見や行動を説明できなくなって困る様子を見て、おもしろがります。 もちろん、ソクラテスには「相手を困らせてやろう」なんて考えはありません。でも、やられた方は、面(つら)の皮をはがれたような気分になります。また、若者たちまで、ソクラテスの真似を始めます。大人の面子(メンツ)丸つぶれです。 こうして、70歳になろうとするとき(B.C.399)、ソクラテスは、「ギリシア古来の神々を冒涜(ぼうとく)し、自らの神を作り出した。そして、若者たちを誤った方向に導いた」という罪状で訴えられ、裁判にかけられます。その裁判で、彼は堂々と自説を述べ、死刑判決を受けます。このときの様子を描いたものが『ソクラテスの弁明』という本になっています。弟子のプラトンのものとクセノフォン著のものがあります。これは、来週みていきます。 死刑宣告後、毒杯をあおるまでは、プラトンによって『クリトン』という書物になっています。これは、再来週にやりたいと思います。結局、ソクラテスは、潔く毒杯をあおり、アテネを愛しながら死んでいきます。 人生が哲学そのもの彼の生き方自体が、そのまま【哲学】と呼べるものなので、ソクラテスは哲学界の大巨人なのです。人によっては、失敗に終わった三十人政治の黒幕はソクラテスで、そのため別件で死刑にされたと考える人もいますが、……。ああ、三十人政治はね、つまりだ、スパルタを中心とするペロポネソス同盟とアテネを中心とするデロス同盟が、……。いや、いい。興味がある人は、自分で調べてください。時間も過ぎてるし。 宿題、来週までに『ソクラテスの弁明』を読んでくること。来週は、弟子のプラトンの書いた『ソクラテスの弁明』をみんなと一緒に読みたいと思います。一度読んできてください。先週言ったと思いますが、『弁明』は買ってください。文庫本でいいので(右の欄に紹介されています)。 君たちは、貴重な時間を使って、この講義を聴きに来てくれています。また、貴重なお金を使ってテキストを買ってくれます。時間の使い方、書籍に使うお金の使い方は、ある程度暴力的に、私に決められてしまいます。せっかくなので、できるだけ有益に使ってもらいたい。そう思って先ほどの本を推薦しています。まあ、役に立つか立たないかは、皆さんそれぞれの生かし方ですが、「一度読んどけ」ということです。予定時間をオーバーしました。終わります。
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インデックス・ペイジ 初期ギリシア哲学 第1講 ミレトス派 第2講 ピュタゴラス派 第3講 ヘラクレイトス 第4講 エレア派 第5講 エンペドクレス 第6講 アナクサゴラス 第7講 原子論 ソクラテス 第8講 ソフィスト 第9講 ソクラテスの生涯 資料:ソクラテス関係年表 資料:ソクラテス関連人物 第10講 ソクラテスの弁明 第11講 クリトン 第12講 ソクラテスとは プラトン 第13講 プラトンの生涯 第14講 プラトンの著作 第15講 想起説 第16講 イデア論 第17講 哲人国家論 アリストテレス 第18講 アリストテレスの生涯 第19講以降の講義は、第18講義のペイジか、インデックス・ペイジ内のリンクをクリックしてご覧ください。
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© 2005 Tetsuhito Aichi
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