第15講義 想起説メノン前置き前回は、プラトンの著作物の年代分けをやりました。そして、前期作品について、ちょっとだけコメントしました。 今日は『メノン』からですね。いよいよ、本格的にプラトンの思想に迫ります。と言ってもこの講義では、表面的になぞるだけですが。 前回の講義の最後に紹介したゴルギアス。これは本の題名でもあるし、弁論のうまいソフィストの名前でもあったわけです。テッタリア(テッサリア:ギリシア中部の地域)人のメノンは、このゴルギアスに影響を受けて知恵に目覚めた。そういう設定で『メノン』は始まります。 徳は教えることができるのか実はこの設定を伝える前に、メノンはソクラテスに、いきなり質問をします。こうして、『メノン』は始まります。
───『メノン』プラトン著・藤沢令夫訳─岩波文庫より引用───── ああ、そうだ。『メノン』は「徳について」という副題が後につけられています。言うの忘れてました。早く伝えたいことがあると、あわてちゃって、抜けちゃうことがあるんだ。最近、特に多くなったなー。いかん、いかん。次、行くぞ。
「徳は人に教えることができるのか」 徳とは何かここでソクラテスは、彼らしい問答を始めます。「そもそも〔徳〕とは、何ぞや。メノンよ、君は知ってるの?」というわけです。この対話篇に限らず、ソクラテスは、「徳とは何?」「正義とは?」「勇気とは?」「知恵とは?」「節制とは?」など、その言葉の定義、本当の意味を突き止めようとします。そのことがわからなければ、身に付けることなどできないし、教えることもできない。至極当然のことです。 知っているようにして、なんとなく使っている言葉の意味を、本当は誰も知らないんじゃないか。そこから始めるのがソクラテスなのです。 メノンは、〔徳〕とは何かを知っているつもりで、ソクラテスに説明し始めます。しかし、ソクラテスの突っ込みに、知っているはずの〔徳〕が、だんだんあやふやなものになってきます。 人の自信をなくさせる。これをやらせたら、ソクラテスの右に出るものはありません。「徳は人に教えることができるのか」と考えるより先に、「徳とは何か」ということをよく考えなさい。ソクラテスは、そう言っているのです。 プラトンの著作は、師ソクラテスへの報告書
「徳とは何」「正義とは」「勇気とは」「知恵とは」「節制とは」……。 アナムネーシスさて、『メノン』に戻ります。『メノン』の中で【想起(そうき)】という概念が現れます。ギリシア語では、【アナムネーシス(anamnêsis)】といいます。 この対話篇の中で、ソクラテスは、メノンの召使(めしつかい)の一人に、図形を使って質問をします。召使は、初めのうちは間違っているのですが、ソクラテスの巧みな誘導に従って正解に至ります。 ソクラテスは、解き方や答えは教えません。周辺の関連事項を与え、召使自(みずか)らが正解を導き出すように仕向けます。この様子をメノンに傍観させ、〔想起する〕とはどういうことなのかを教えます。 この頃のギリシア人は、「魂は死なないで、新しき肉体を得て、何度も生まれ変わる」と信じていました。あの世…、この頃のギリシア人は、〔ハデス〕と呼んでいるのですが、魂は、この世とあの世を行き来します。 プラトンは、『メノン』執筆の頃には、【イデア論】にまでは到達していなかったようで、〔イデア界〕ではなく〔ハデス(冥界・めいかい)〕という語を使っています。 そのハデスで、人間の魂は、さまざまなことを知っているのです。しかし、肉体を得て地上に降り立てば、それらのことがらを忘れてしまうのです。地上界で学習したりして、それらのことがらを思い出すのです。この思い出すことを〔想起〕と呼んでいるのです。 パイドン魂の不死について先ほど触れましたが、この想起説を〔イデア論〕と結びつけて語っているのが、中期作品の中にある『パイドン』です。 『パイドン』は、ソクラテス処刑…、といっても自分で毒杯をあおるのですが、その処刑日の1日のことを描いています。そうでした。「魂の不死について」という副題がつけられています。 哲学とは死ぬことの練習
───『パイドン』プラトン著・岩田靖夫訳─岩波文庫より引用────
どうですか。…… だから、生きているうちは、知の探求は進まないのです。魂と肉体が切り離され、死んだときこそ、絶好の哲学の時間なのです。 |
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哲学と宗教もう気づいた学生もいると思いますが、プラトンはピュタゴラス教団やオルフェウス教の教義内容にかなり影響を受けています。「何だ、受け売りか?」と思う方もいると思いますが、プラトンの偉いところは、その内容に「自分自身が納得できるように説明を加えた」というところです。〔宗教〕には教義はありますが、相手を説得する必要はありません。ただ、「信じなさい」といえば済むのです。「教義のようになっています。これはそうなんだから、信じなさい。信じる者は救われます」という態度です。これに対して〔哲学〕は、誰が聞いても納得できる論理が必要なのです。プラトンは、それを加えようとしたのです。 時間が来てしまいました。今日はここまで。
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